今回は、星の子プロダクションの小河原智子さん。本もたくさん出していて、似顔絵業界では誰もが知ってる方。業界のパイオニアとして見てきたこと、感じていることをお聞きしたくて、彼女の似顔絵教室にお邪魔してきました。1人のクリエイターとして、星の子プロダクションの役員として、どんなことを感じているのでしょうか?
小河原智子プロフィール

似顔絵作家 小河原智子 小河原さんはメディアに出演多数してて、本もたくさん出しています。「ポジション式似顔絵上達法」の本は僕も昔に買いました。
- 国際似顔絵大会 (National Caricature Network) 優勝
- TVチャンピオン 似顔絵選手権 優勝
- 読売新聞似顔絵大賞 受賞
- NHK趣味悠々 「簡単そっくり似顔絵塾」 講師
- 似顔絵スクール星の子主任講師
- 東京カルチャーセンター通信教育講座 講師
初個展前で忙しそうでしたが、快く承諾いただき、似顔絵教室の見学後にインタビューさせていただきました。それでは、長編始まります!
最初は楽しむ余裕はなかったけど、いろんなご縁で似顔絵を描き始めました。

どうも、はじめまして。今日はいっぱい聞きたいことあるんです。よろしくお願いします!
今日初めてお会いして、部屋に入って来た瞬間に、この人はすごいたくさん喋る人なんだなと感じました(笑)。
わははは。否定はしませんが、聞き役として頑張りたいと思ってます(笑)。小河原さんって似顔絵イラストレーターって名乗ってるんですね?似顔絵師っていう人もいますけど。
「似顔絵師」はピンと来ないのよね。最近は、似顔絵作家が多いかな。
そうなんですね。どういう経緯で似顔絵を描き始めたんですか?
もともとイラストを描く仕事をしてたのですが、結婚して子供を生んでからは、なかなか復帰できなくて、たまにイラストのお仕事を頂く感じだったんです。
そうかあ。そういう時代なんですね。
そうそう。それで、学生時代の友達に中村順子さんという方がいたんですが、彼女のお父さんが東京新聞で似顔絵を描いてる中村伊助さんという方で、練馬で似顔絵教室を開いていたんです。 前々から「遊びにおいで」と言われてたので、仕事もあまりなかったので、子供を連れて、似顔絵教室に遊びに行ってたんです。それで、たまに似顔絵イベントに呼ばれるようになったんです。
じゃあ、描きながら経験を積んでいったんですね。
そうですね。似顔絵教室で練習はしてたけど、仕事になるとは思ってなかったんです。いろんな縁でやりはじめた感じですね。
楽しかったんですか?
うーん。実はそんなに楽しくなかったです(笑)。だから、2年ぐらいは怖くて断ってました。楽しむ余裕がなかったんです。でも、イラストで復帰しようとしても仕事がないので、これは慣れるしかないと思って、児童館に行って無料で子供を描かせてもらって練習したんです。子供のほうがまだ目をあわせられたんです。大人は怖くて(笑)。ドキドキしちゃうんです。
今からは想像つかないですね(笑)。
いえいえ(笑)。2年ぐらいは児童館で描いてましたね。ちょうどその時ぐらいに、星の子プロダクションの社長の秋久がサンシャイン60に営業して似顔絵を描く許可をもらったんです。彼も伊助さんの教室に通ってたんです。
あのー、サンシャイン60って何ですか?
池袋にあるビルです。当時、日本で一番高いビルだったんです。もう30年前ですね。そこの展望室で、似顔絵を描く許可が取れたんですけど、描く人がいなかったので、伊助さんの教室で勉強している人に声をかけてて、私にも声がかかったんです。
へえ。
それで私を含めて3人で描き始めたのが似顔絵を仕事にするようになったキッカケなんです。
すごい縁ですね。
中村さんと伊助さんと秋久さん。みんな御縁ですね。児童館で慣れてきたときに、声がかかったので、タイミングがピタっとあって、いろんなことが解決したんです。
伊助さんの教室に行くまでは似顔絵は描いてなかったんですか?
描いてなかったんですが、よく考えると、昔から顔には興味あったんだなと今では思うんです。
どういうことですか?
私は武蔵野美術大学で油絵をやってたんですが、途中で版画研究科に入ったんです。それで、その頃から、デビットボーイとかマイケルジャクソンとか有名人を版画にしてたんですよ。
なるほど。仕事では描いてなかったけど、顔には興味があったんですね。
そう思います。風景とかじゃなくて、顔がモチーフだったから。振り返ると好きだったんだと思う。
その池袋で描き始めたのが星の子プロダクションなんですか?
はい。でも、その時は、グループ星の子と言って、会社ではなかったんです。
それがどんどん大きくなって会社になったんですか?
そう。やってると、やりたいっていう人が出てきたんです。それまでは、イベントで描いてる人はいましたけど、常設で描いてるのってなかったんですよ。だけど、毎日やってると、いろんな人が来て、「どうやったら似顔絵を描けますか?」ってよく言われるから、じゃ、職場を増やせばいいんだなって思ったんです。
へえ。
それで、その時にサンリオのピューロランドができたんです。知らないかな?ディズニーランドほど大きくないけど、八王子にあるテーマパークなんです。
行ったことないですけど、知ってますよ。
そうそう。そこで、ピューロランドで描きたいと思って営業したんですけど、大きいところに入るには、やっぱり会社じゃないとダメで、それで会社にしたんです。
ああ、なるほど。
営業がしたいわけじゃなかったんですけど、描きたい人がどんどん来るんですよ。うちの社長は、やりたい人がいるなら営業するよって感じなので、それで増えていっちゃって、今があるんです。
なるほど。
似顔絵は観光のおまけじゃなくなってきてる

今って観光地で描くのって当たり前ですけど、当時、なんで高いビルで描こうと思ったんですか?
社長は岡山の人なんです。だから、地方の人が東京に来たら、やっぱり観光地に行くだろうって自然に思ったんだと思います。
観光地のほうが、集客しやすいと思ったんですか?
はい。当時はそう思ってたんです。
えっ、今もでしょ。
いや、今はもう変わってきてる、と思います。昔は、お土産にちょっと描いてもらおうっていうノリがほとんどだったんですが、今は、好きな作家さんに描いてもらうために来られる方が多いですから、観光のおまけじゃなくなってきてるんです。そういう意味では、もう観光地じゃなくてもいいのかもしれませんね。
ほお、なるほど。
それに、今はサンプルを見て選ぶ人も多いですよ。でも、昔は描いてる人も少ないし、サンプルなんて置いてなかったんですよ。
そうなのか。描く人が少ないから比較する必要もなかったってことですか。
席描きのサンプルは昔はなかった

そうですね。サンプルを置くようになったキッカケがあるんですよ。
ほお。
昔は、似顔絵を描いてる人は、漫画家の男性の方が多かったんです。私は、当時は若い子だった(笑)ので、そういう年配の男性と一緒にやってたんですが、その頃は、若い女性はヘタって思われてる時代だったんです。
そうなんですか?
そう。例えば、お子様を連れたお母さんが来たときに、子供が私の前に座ると、「ダメよ。そこに座っちゃ。若い子はヘタだから。」とか言われるんです。
そんなこと言われるんですか!
そうなの。それで、年配の男性のほうに子供が引っ張られて行くんです。そんなのがしょっちゅうあったんです。
へえ。
そんな時に、一緒に描いてた女の子が、「見本さえあれば、カワイイ絵を描けるって分かってもらえると思うから、見本を出したい!」って言ってきたんです。
ほお。
「じゃ、1枚だけよ。」って言って見本を出したのが、たぶん似顔絵サンプルの始まりなんです。
すごい、歴史を感じますね。
恥ずかしい(笑)。
今はもうみんな当たり前にサンプルを置いてますけどね。
今は、似顔絵サンプルの研修もしてますよ。こういうサンプルをこういう位置に置いたほうがいいとかね。それも歴史があるんですよ。昔は有名人のサンプルが多かったけど、今は一般の人が多いとか。もう話しだすと終わらないですよ(笑)。
でしょうね。いやー、歴史の始まりを聞けただけで満足です(笑)。小河原さんって似顔絵歴史を見てきた人だと思うんですよ。興味深いです。
近世のね(笑)。感慨深さはあります。すごく変化していってますから。
業界の需要はどんどん広がってる

どう変化していってるんですか?
どんどん需要が増えて、広がってます。昔は、似顔絵って土日や祝日だけの仕事だったんです。でも、今は毎日できるようになってますし、星の子以外にもたくさん会社ができてるし、いろんな仕事が生まれました。たとえば、昔は似顔絵ウェルカムボードってなかったですから。
あ、そうなんですか。
私は、昔は文字でウェルカムボードを作ってたんですが、似顔絵も入れたら面白いんじゃないかと思って、アメリカから友達が来たときに、「アメリカにはウェルカムボードってあるの?」とか「どんなコトバがいいと思う?」って聞いたんです。
ほお。
そしたら、友達のデイブが「welcome to our wedding reception」はどう?って言ってくれたんです。それで、しばらくそれを使ってたんですが、日本人の私には、ちょっと長いなと思って、「happy wedding」に変えたの。こっちのほうがシンプルで、絵と合う文字数だったから。
似顔絵ウェルカムボードって小河原さんから生まれたの?
分からないですけど、私はそうやってデイブと一緒に文字を考えましたね。
僕も似顔絵ウェルカムボードを描くときに、その文字を使ってますよ(笑)。
あ、そうなんだ(笑)。
そういう感じで、新しい仕事が生まれているってことですよね。
そうですね。仕事は増えましたし、職業としても確立したと思います。わたしたちのときはアルバイトでしたけど、私自身は、似顔絵を描くことで、子供を育てて、大学を卒業させてますから。
なるほど。
昔は、仕事を他に持ってて、ちょっと似顔絵を描いてますっていう人がほとんどだったんです。でも、今は、似顔絵だけで食べてる人がたくさんいます。職業として確立するっていうのは、それで生活して、税金を払っていくことだと思いますから、もう職業になったなと思うんです。
似顔絵はやっと職業になったと思う
やっぱり仕事の大半が席描きなんですか?
そうですね。あとは、イベントやネットでの通信販売。
昔より描いてもらいたい人が増えてます?
増えてると思います。それは、何かに使えるようになってきてるからだと思う。
それは何が変わったんですか?何かキッカケがあるんですか?
私の感覚ですけど、プリクラが流行ったことって大きかったと思うんです。
ほお。
プリクラが生まれて、自分の顔で遊ぶっていう価値が生まれたように思う。それまでは親が子供を連れてきて、「似顔絵を描いてください」っていうのがほとんどだったんです。「お母さんもどうですか?」って言うと、「私なんかいいですよ!」って言われてたんですよ。でも、プリクラの頃から、「私もお願いします。」って変わったんです。若い子が、「自分を描いてください」って来るようになったのもその頃だと思います。
なるほど。面白いですね。
その前のブームとしては、ご存知ないかもしれないけど、テレカっていうのがありまして。
おお、テレフォンカード!懐かしい。
テレフォンカードに似顔絵をプリントするっていうのが、バブルのときの、うちのヒット商品だったんです。あの時は、新橋や東京駅の地下街で描くと、「名刺代わりにテレフォンカードが欲しい」っていう依頼がたくさんあったんです。
すごい時代やなあ。
最近は、若いカップルとか、何かのプレゼントにしたいっていう人が多いですね。
似顔絵の使い方が多様化していってるんですね。
そうですね。実は写真から描くのはずっと断ってたんですが、あるとき、写真も受け付けるようになったんです。最近は、お買い物の前に写真を持ってきて、買い物が終わったら似顔絵を受け取る方とかもいますから。
そんな人いるんですか。
いますよ。プレゼントの場合が多いですね。プレゼントが飽和状態になったときに、手作り感があって、喜んでもらえるものとして似顔絵がよかったんでしょうね。おじいさん、おばあちゃんは写真で、お子様は実際を見て1枚の絵にすることも多いですよ。
もともと写真でやってなかったのは、難しいから?
そうですね。ちょっと別の技術がいるんですよね。それにやってなかったから、できるとも思ってなかったんです。
なんで描くようになったんですか?
目の前のお客さまを大切にしたかったので、写真だと、描きたくない作家さんもいたんです。でも、自分たちの仕事を広げるために、これはやらないといけないだろうということになったんです。
なるほど。
対面で描くのと、写真を送ってもらって描くことは全然違う
対面じゃなくて、ネットで写真を送ってもらって描くのって全然違うものですよね。
まったく違うと思います。席描きって絵以外の部分が大きいんですよ。お客さまが気持ちよく帰れるかどうかによって、同じ絵でも、気に入り方が全然変わるから。
そうでしょうね。
会った時の力がライブの価値だと思う。だから、どう座るか、どう向き合うか、ちゃんとしないといけない。絵だけじゃなくて、その時の思い出も大切なの。
なるほど。
ネットでの依頼は、ラフ出ししながら完成品を目指し、一緒に進めて行く感じ。だから、全然違うの。席描きはコミュニケーションの価値が本当に大きい。同じ絵が、2倍、3倍、10倍、100倍、1000倍になるぐらい違う。10分で描いた絵が一生飾ってもらう絵になるかもしれない。
画力だけじゃない。
そう。画力だけじゃないって思ってるんです、私は。でも、この気持ちが強くなりすぎちゃうと、絵はどうでもいいってなっちゃうんですけど、そうじゃないんです。アベレージはちゃんと出さないといけない。
そうですよね。
だから、新しく入ってきた人に何を伝えるかと言うと、なんか禅みたいだけど、平常心で座ること。前日にクレームがあったからって動揺したらダメだし、リピーターがいるからって安心しちゃダメ。平常心で会って、座って、描く。シンプルに考えるの。
なるほど。
接客の基本は、キチンと感じること。そして、相手のテンションにあわせるの。それが似顔絵描きが最初にすることだと思うの。
コミュニケーションですね。
そう。まず、お客さまが居心地いい場所にするの。イラストは完成までに時間がかかるけど、席描きはその日に終わるから、いい仕事だと思う。ダメでも、次の日にまた頑張ればいいんだから(笑)。
野球の試合みたいですね。
そうですね。若い子が、その週に会ったことを報告してくれるんだけど、ああ、この時期だなあって思う時はある(笑)。
そういうのって伝えるんですか?
空気感や相性もあるので、言うべきと思えば言うし、言わないときもあるかな。
なるほどねえ。このインタビューでマネージャ的な視点で語る方は初めてです。やっぱり作家さんとはちょっと違いますね。
ええー、作家としてだけ話せたらもっとカッコいいのに…。
えー、なんでですか。作家としてのコダワリも感じられてオモシロいですよ。
そうかな。私は、絵に特化していきたくなってる時期なんだと思う。だから、作家として話したいんでしょうね。
できなくなったことは、やらなくていいこと。

描くのが好きなわけでしょ。でも、会社の役員になって、人が増えると、管理ばかりでイヤになったりしないんですか?
管理するのは別の人がやってて、私はイベント担当みたいな感じだったので、すごく描いてたんです。でも、あまりに忙しすぎて体調が悪くなっちゃって、それで、過労でダウンしたこともあります。
えっ。
でも、わりと楽観的なので、しばらくイベントを休んだ方がいいなら、それじゃ、本を出そうと思って、「時間ができたので、本を出そうと思います」って出版社に連絡したんです。
すごい前向きですね。いっぱいいっぱいになってる人が、そんな風に考えないですよ。
実は、人に会うのがあまり得意じゃないので、プリントして送ったの。だって、何かができなくなることって、何かができるようになるってことでしょ?きっと。
前向きな人の考え方ですよ。
私はイベントばかりやってたんですよ。イベントってやることが仕事じゃなくて、次に呼ばれるところまでが仕事じゃないですか。
はい。
そういう風に次につなげることができるのは自分だけだと思ってたんだけど、でも、私が休んだとき、他の人もできてたの。人にやってもらったらその人のほうがうまくできたりするんですよね。そうなると、自分には別の仕事が待ってるんだと思って楽しみなの。
すごいポジティブですね。
過労でダウンすると、誰だって落ち込むけど、落ち込んだままでいられないじゃないですか。子供もいるし、生活していかないといけないから。ご飯も作らないといけないから。
そうか。
それが大きいかな。母が亡くなった時に、何もすることがなかったら、3年でも10年でも落ち込んでいたかもしれないけど、ご飯作らないといけないし、することいっぱいあるから、女の人のほうが早く立ち直りそうじゃない。
うーん。なるほど。
自分はそうだったの。息子がいたので。 何かをどんどん失っていっても、やらなければならないことがどんどん現れるんです。
新しいものは縁ですか?
そうですね。縁です。すべて受け身なんです。今回の個展も縁で、やらない?って言われて。
もうそういうポジションなんでしょうね。でも、本を書くときに、出版社に書類をたくさん送ったって言ってたじゃないですか。そういう過去の積み上げの上に現在があると思うんです。それをしない人が多数だと思うから。
そうなのかな。とにかく人と会うのが苦手だから、自分にあった方法が文章だっただけなんだけどね。でも、こわがりだし…。もう飛行機が怖くなってしまって、似顔絵の世界大会にも出れなくなっちゃった。
えっ、飛行機に乗れないんですか?
でもね、できないことが増えるけど、できることも出てくるもんね。行けないとしたら、行かなくてもいいから。じゃ、他のことしようと思って。それに、できないことは、やる必要ないことなんで、自分で取捨選択しなくていいから、逆に楽かも(笑)。
悟りの領域ですよね(笑)。
恥ずかしい。でも、すべてのことは、求めていてできないからですよ。
それも深いなあ(笑)。
海外の似顔絵の大会にも行きたいけど、行けないでしょ。だったら、他にやりたいことを探すということになるんですよね。
うーむ。深い。達成できないことがあるから、次のパワーになるってことですよね。
そうですね。
すごいよく分かりますけど、若い時に言われても意味が分からなかったかも。
そういうのありますよね。高校生の時に、カモメのジョナサンを読んだら、カモメの話と思ったんだけど、年を取ってからまた読んだら全然違うのよね(笑)。
やっぱり自分の体験がないとメッセージをキャッチできなかったりしますよね。
そうよね。そうすると、インタビューも年を重ねてからしたほうがいいかもね。
そんな気はしますね。これも初めてよかったと思ってます。僕は似顔絵を描いたから分かることが出てきて、インタビューを始めたんですが、最近は雑誌を読むと、このインタビューはスゴイなっていう視点が生まれてきてるんです。でも、やってないときは作り手の視点なんてなくて、内容を見てるだけです。まだインタビューはちょっとしかしてないけど、そういう視点が出てきて、オモシロいなって思います。
うんうん。面白いよね。違う楽しみができるよね。これは踏み込んだなとか思うんでしょうね。ふふふ。
僕は、興味からまず入って、やるべきなら続けるってスタンスなので。
ある部分同じです。似てます。ふふふ。
自分の体験からルールを作ってきた

昔は本当にルールがなくて、大変なこともいっぱいあったの。だから、他の人も同じことならないように、イベントやる時はキッチリとルールを作るの。何時間労働、何時間休憩って決めて、担当の人にも分かるような資料を作って。自分が大変だったことは他の人にはしてほしくないから。だから、常にルールを作ってきたの。
ふーむ。なるほど。
本当は最初に決めたらいいんだけど、自分が限界まで来てやっとルールの必要性が分かるんだから、頭が悪いですよね(笑)。
いえいえいえ。自分の体験がベースでしょ。頭で分かるのと、体験して分かるのって違うから、それでいいと思いますよ。現場視点でマネージメントをしてるんだなって感じますよ。
あ、そういう言い方があるのね。そんな感じでいろんなことを作ってきたなと思う。全部経験したから。
この後は、これから取り組みたいことです。まだまだ続きます!
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